乱読からのつぶやき

「ベトナム戦記」開高健

週刊朝日」に連載したものを箱根に1週間こもって書き直したもの。前半は、ベトナムの様子やベトナム人の人柄など面白、可笑しく書かれている。後半は、1965年2月14日、戦場のなかで死を意識するほどの最前線での実体験が伺える。文章表現もいい。ベトナム戦争とは何だったのか。

…奇妙な国だ。一日二百万ドルをアメリカにつぎこんでもらって、郊外の木と泥のなかでは、毎度毎度死闘がくりかえされているのに、この都の、まあ、輝やかしいこと、繁栄ぶり、戦争があってはじめて豊富になる都、ネオンと香りの閃き、何がどうなってこうなったやら…

…神経が一本、一本ヤスリにかけられるようだった。想像力は食慾とおなじくらい強力だ。圧倒的で、過酷で、無残である。”アジアの戦争の実態を見とどけたい”という言葉をサイゴンで何度となく口のなかでつぶやいたために、いまこんなジャングルのはずれの汗くさい兵舎で寝ているのだが、夜襲を待つ恐ろしさと苦しさに出会うと、ほとんど影が薄れてしまうようだ。ベトナム人でもなくアメリカ人でもない私がこんなところで死ぬのはまったくばかげているという感想だけが赤裸で強烈であった…

…人間はもろいのだ。竹細工のような骨のうえにセロファンより薄い皮膚を張ってよちよちと歩きまわっているにすぎないのだという感想が私の体にしみついた…

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秋元啓一特派員撮影