乱読からのつぶやき

「汽船」小沼丹

帯に書かれている、ほのぼのとした不思議な味わいの筆致と、ユニークな作風で知られる作家・小沼丹の初期作品。のびやかな青春時代を独特のユーモアで綴る珠玉短編集。その通りの作品だった。5作品とも描写と構成が上手い。

…しかし、白樺荘に客は来なかつた。既に秋風が吹き、落葉松林に雨なんか降ると何やら粛条たるものを覚えるやうになつても、客は現はれなかつた。僕らはもう、白樺荘もおしまひだと考へた…

f:id:keis7777777:20210326212012j:plain

題字:木村加光 改装版

f:id:keis7777777:20210326212038j:plain

 

「青春怪談」獅子文六

美男子で合理主義の慎一と、バレエに身をささげようとする千春の話。その二人をうらやむ周囲の人から、仲を引き裂こうと怪文書が届く。それぞれの親のことなど、いろいろな要素も入り交じり、昭和の白黒映画を見ているような感じで楽しく読める。

…新橋駅で、偶然、千春と慎一を見たのは、肉眼の働きであって、彼女は、二人が別れたのを見るや、タキシに乗って、麹町のバス停留所へ、先き廻りしていたのである…

…時計は、すでに、五時二十分を、指している。同じ場所に、待合せの男女は、何人もいたが、それぞれ、一組となって、散っていくのに、ボンヤリ立っているのは、慎一と、後から現れる新手だけだった。バカにしている。こんなに、待たせるなんて…

f:id:keis7777777:20210320233154j:plain

 装幀:馬淵聖。昭和29年発行。

「論語と算盤」渋沢栄一

論語と算盤」は元々、講演口述を「竜門雑誌」に掲載し、そのなかから、編集者の梶山彬が九十項目を選んでテーマ別に編集し、大正五年に発行されている。

今回、ちくま新書で読む。この本は、「論語と算盤」の中の重要部分を選び現代語訳されたもので読みやすい。

…「名声とは、常に困難でいきづまった日々の苦闘のなかから生まれてくる。失敗とは、得意になっている時期にその原因が生まれる」と昔の人もいっているが、この言葉は真理である…

…決して極端に走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志を持って進んでいくことを、心より希望する(略)自分を磨くこととは、現実のなかの努力と勤勉によって、知恵や道徳を完璧にしていくことなのだ…

f:id:keis7777777:20210313122719j:plain

1840年ー1931年 享年92歳

「夜空はいつでも最高密度の青色だ」最果タヒ

現代詩集。あとがきに、私の詩を少しでも好きだと思ってもらえたなら、それは決して私の言葉の力ではなくて、最初からあなたの中にあった何かの力。と書かれています。言葉が頭の中に入って来て、読み終わった後、脳細胞に何かが起きた・・・

…きみが欲しいという言葉が、ぐるぐる100円ショップに渦巻いている(略)ギリギリで生きているってことに気づかないぐらい、コンビニがご飯も水もトイレも提供してくれる…

f:id:keis7777777:20210309000643j:plain

ブックデザイン:佐々木俊

 

「みみずくは黄昏に飛びたつ」村上春樹、川上未映子

川上未映子が、村上春樹にインタビューする対談集。会場と時間を変えながら四回にわたって対談が行われた。第四回目は村上春樹の書斎で行われている。文庫版には二年ぶりに行われた対談も追加で収められている。作品のこと、作家作業のこと、趣味のことなど多義にわたる。

…僕にとって、締切りのない仕事は趣味でやっているようなものだから、それはもう仕事とも言えない。だから、忙しいかと訊かれると「いや、今は翻訳しかやってないから、別に忙しくないですよ」みたいなことを言ったりして…

…第一稿はとにかく文章の勢いで話を持っていかなくっちゃいけないから、できるだけフットワークを止めないようにする。ディテールは後から何とでも調整できる。(略)小説というのは呼吸だから、その呼吸のバランスさえ押さえておけばいいわけ…

f:id:keis7777777:20210228225441j:plain

 

「唐草物語」澁澤龍彦

安倍晴明プリニウス藤原清衡、コムバボス、始皇帝などの話が12話書かれている。あとがきに、澁澤が「あらゆる模様のうちでアラベスクはもっとも観念的なものだ」とボードレールが『火箭』のなかに書いている。いうまでもなくアラベスクとは、唐草のこと。コント・アラベスク、唐草物語のことで、ボードレールの言葉に由来した題名としていると書かれている。不思議で幻想的な話。

…すでに五億年前の海底で、海胆(うに)が現在とまったく同じような海胆だったということだろう。たとえば最新の自動車や飛行機のかたちが、これ以上は改良の余地がないほど機能的に洗練されているように、海胆は、早くも五億年前から、進化の極限としての現在のかたちに到達し、その後は、ほとんど何の変化もなかったらしいのである。これを高等動物といわずしてなんといおうか…

f:id:keis7777777:20210222004242j:plain

装丁:中島かほる

 

「ベトナム戦記」開高健

週刊朝日」に連載したものを箱根に1週間こもって書き直したもの。前半は、ベトナムの様子やベトナム人の人柄など面白、可笑しく書かれている。後半は、1965年2月14日、戦場のなかで死を意識するほどの最前線での実体験が伺える。文章表現もいい。ベトナム戦争とは何だったのか。

…奇妙な国だ。一日二百万ドルをアメリカにつぎこんでもらって、郊外の木と泥のなかでは、毎度毎度死闘がくりかえされているのに、この都の、まあ、輝やかしいこと、繁栄ぶり、戦争があってはじめて豊富になる都、ネオンと香りの閃き、何がどうなってこうなったやら…

…神経が一本、一本ヤスリにかけられるようだった。想像力は食慾とおなじくらい強力だ。圧倒的で、過酷で、無残である。”アジアの戦争の実態を見とどけたい”という言葉をサイゴンで何度となく口のなかでつぶやいたために、いまこんなジャングルのはずれの汗くさい兵舎で寝ているのだが、夜襲を待つ恐ろしさと苦しさに出会うと、ほとんど影が薄れてしまうようだ。ベトナム人でもなくアメリカ人でもない私がこんなところで死ぬのはまったくばかげているという感想だけが赤裸で強烈であった…

…人間はもろいのだ。竹細工のような骨のうえにセロファンより薄い皮膚を張ってよちよちと歩きまわっているにすぎないのだという感想が私の体にしみついた…

f:id:keis7777777:20210214030659j:plain

秋元啓一特派員撮影